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東京高等裁判所 平成5年(ネ)4332号 判決 1995年6月22日

控訴人(附帯被控訴人)

学校法人松蔭学園

右代表者理事

松浦ヒデ子

右訴訟代理人弁護士

竹内桃太郎

山西克彦

岩井國立

被控訴人(附帯控訴人)

森弘子

右訴訟代理人弁護士

田原俊雄

大森典子

(他三名)

主文

本件控訴を棄却する。

原判決主文第二項は仮に執行することができる。

控訴費用及び附帯控訴費用は控訴人(附帯被控訴人)の負担とする。

事実及び理由

第一申立

一  控訴人(附帯被控訴人)

1  原判決中控訴人敗訴部分を取り消す。

2  控訴人と被控訴人との間に雇用関係が存在しないことを確認する。

3  被控訴人の反訴請求及び附帯控訴を棄却する。

4  訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。

二  被控訴人(附帯控訴人)

1  本件控訴を棄却する。

2  原判決主文第二項に仮執行宣言を求める。

第二事案の概要

事案の概要は、次のとおり付加、訂正、削除するほかは原判決事実及び理由「事案の概要」欄記載のとおりであるからこれを引用する。

1  原判決七頁九行目「付けで、」の次に「学園の就業規則、同服務細則に基づき」を加入し、同一一頁九行目「(証拠略)」を「(証拠略)」と改め、同一五頁七行目「記載された」の次に「解雇理由の概要は、「昭和五四年から昭和五六年までの被控訴人の教務手帳を調査したところ、常識では考えられない成績評価の誤りが次々に発見され、誤りの内容も初歩的な計算ミスばかりでなく、成績評価基準を故意に無視し、あるいは生徒に対する恣意的な取り扱いをしたとしか思えないものが多数あった。その中には評点の訂正に止まらず、通知表の訂正を要するものが最近の三年間に限っても五五件に達した。右調査結果をみるに常軌を逸しており、被控訴人が成績評価に限らず日常の教育、生徒指導の面において学園の教諭として過誤なきを得たか否か誠に疑問といわざるを得ない。学園としては、今後被控訴人に家庭科教諭としての正常な労務提供を期待することができない。」というもであり、また、右通知書に具体的に記載された」を加入する。

2  同一九頁一一行目「内規制定」から同二〇頁一行目「であったが」までを「内規制定前の成績評価の基準としては「各教科・科目の成績評定に関する事項」があったが、これは「評価は平常の学習活動、期末、中間考査、提出物等年間を通じての学習の結果を総合して決定することが望ましい。」という程度のもので評価基準としては抽象的で、各担当教師の主観に左右される危険があった。また、家庭科においては」と、同三〇頁三行目「1」を「2」と各改め、同四一頁三行目「別表」の次に「1」を、同四行目「別表」の次に「2」を、同四七頁一一行目「ついては」の次に「平常点の付け方は異なるが結果的には」を各加入し、同四八頁六行目「割って」を「割り、これに平常点を加味して」と、同五九頁一行目「問題で」を「問題が」と各改め、同行「問題として」を削除する。

第三争点に対する判断

一  学園における成績評価の基準

控訴人は、本件解雇の理由として、被控訴人には教師としての「職務の適格性」が欠けているとし、それを基礎付ける具体的事実として、原判決添付別表(略)(以下、単に「別表」という。)のとおり被控訴人の成績評価の誤り合計一二四件を主張している。そのうち、被控訴人が単純な計算ミス・誤記として誤りを認めている別表1、2No1ないし11、14ないし18、22、23を除くその余のものについては、その成績評価に誤りがあったのかどうかを判断するためには、その前提として、控訴人が主張の根拠とする成績評価の基準即ち学園方式が、内規あるいはそれに基づく教科会の取決めとして存在していたのか否かという点につき検討しなければならない。

1  内規制定に至るまでの経緯及び内規の内容

事案の概要欄記載の事実、(証拠・人証略)によれば、以下の事実が認められる。

学園における成績評価の基準については、昭和五二年までは「各教科・科目の成績評定に関する事項」という文書が存在し、これには「各教科・科目の成績の総合評定は五段階とする。」、「五段階評価は絶対評価として定められ、その比率は一般に3の評価が多くなるのが自然である。」、「評価は平常の学習活動、期末、中間考査、提出物等年間を通じて学習の結果を総合的に考慮して決定することが望ましい。」旨の記載があったが、右文書の記載内容は評価の方法ないし基準としては甚だ抽象的で、具体的な評価の運用は各教科、各教師に任される形になり、多くの教科では中間、期末考査の平均点を算出し、それに平常点を加減することにより各学期の評定がされていたものの、教師による評価の不均衡もないわけではなかった。そこで、控訴人は、客観的、具体的な成績の評価基準を定めるべく、職員会議の討議を経たうえで、昭和五二年四月一日、就業規則、服務細則に基づき、成績評価の基準となる内規を定めた。内規の趣旨は、その文言に照らすと、成績の評価は五段階の絶対評価とし、中間、期末考査を均等に取り扱ってその平均点を主たる評価の基準とし、これに平常点(学習態度、提出物、平常考査、出席状況など)による加減をすることができるというものであり、また、平常点は、体育、芸術、家庭、タイプの教科については五〇点を限度として、また、その他の科目については二〇点を限度として各教科会でその限度、内容を決めるというものである。

2  教科会における学園方式の取決めの有無

控訴人は、右内規の制定を受けて、家庭科教科会では、作品の制作等実技のある一、二学期については、実技の成績を中間考査に代えること、実技の評価については、作品の制作過程をいくつかの段階に分けて平常点も加味して順次評価し、それを積み重ねて実技点とすること、したがって、最終的に作品の提出がなかった場合にも制作過程で段階的に積み重ねられた点数を実技点とすること、平常点は制作過程の段階的評価の中で行われるから期末考査、実技点の平均点に平常点による加減をしないということ(いわゆる学園方式)が取り決められたと主張し、(人証略)はこれに沿う証言をする。

一方、被控訴人は、右のような取決めは存在せず、内規制定の前後を問わず、基本的には評価方法の変更はなく、被控訴人は生徒が作品を期日に提出した場合は、実技点と期末考査点を足して二で割り、これに平常点を加味して評点を出し、作品を提出しない場合、期日に遅れた場合等については、29・1、30・2と評価したと主張し、被控訴人本人もこれに沿う供述をする。

ところで、作品が期日に提出された場合については、平常点の付け方に見解の相違があるものの、被控訴人の評定は結果的には控訴人主張の評価方法による評定と同じとなっており、控訴人も被控訴人の評定を誤りとは指摘していないから、本件で主として問題となるのは、作品を提出しない場合、期日に遅れた場合の評定のやり方についても学園方式が取り決められていたかにある。

(一) しかしながら、内規の記載内容、内規制定までの職員会議の議事録をみても、内規はペーパーテストによる中間、期末考査をする科目の評定方法の客観化に主眼をおいて制定され、体育、家庭科などの実技系の科目については平常点を他の科目とは異なり、五〇点まで加減することができるとしているだけで、実技点の評定方法について具体的な規定はなく、内規自体からその評価方法を読み取ることは困難である。また、内規制定に際し実技系の科目固有の評定方法について議論がされた形跡はなく、内規の内容と控訴人主張の家庭科教科会の取り決めは必ずしも結び付いていないこと、内規においては、提出物、平常考査等の平常点は中間、期末考査とは別に考慮することのできる要素としていること(内規の記載からして定期考査点それ自体が平常点を加味したものとして算出されることが予定されていないことは明らかである。)に照らすと、平常点を作品製作過程における出来ばえ等の段階的評価に吸収するというのは内規の文言とはかなりかけ離れているといわざるをえない。

(二) 控訴人主張の学園方式は、作品の制作過程をいくつかの段階に分け、その段階ごとに点数を積み重ね、それを積算したものを中間考査に代わる平常点とし、これと期末考査点とを平均した点数を評点とするというものであって、従前のような作品点と期末考査点とを平均した点数に平常点による加減をして評点を出すというものではない。したがって、内規制定前の平常点と学園方式におけるそれとは大きく意味が異なるのであって、このことは控訴人も自認するところである。このように、従前の評価方法と大きく変わる評価方法(しかも、従前の評価方法と比べるとはるかに複雑である。)を定めた場合は、それが生徒の成績評価の根本基準であることを考えれば、学園側にとっても重要な事柄で、当然学園側の教務上の記録として文書にして残されねばならない性格のものであると考えられる。前記職員会議の決定でも、平常点の限度を定めた場合には教務主任に届け出ることとしているのもこの趣旨に基づくものであると解される。

しかるに、本件においては、控訴人から学園方式の内容及びその取決めがされたことを示す文書は一切提出されていないことはもとより、教科会の日時をも明らかにするものがなく、柳澤証言によれば教科会の議事録も存在しないことが認められる。(柳澤は、そのメモは残っていると証言するが、それが証拠としては提出されておらず、その理由も明らかではない。)。また、柳澤は、教科会の後に教務主任に届け出たと述べている(証拠略)が、そうであるとすれば、何らかの形で書面として残されているはずであるにもかかわらず、その存在を示すに足りる証拠はない。

(三) 被控訴人本人尋問の結果(原審・当審)によれば、昭和五二年五月当時の家庭科教科会の構成員は専任教諭である柳澤、被控訴人及び非常勤講師である小松原のみで、被控訴人は昭和四九年に控訴人に採用されて以来作品を提出しなかったり、提出が遅れた場合には期末考査点のいかんにかかわらず、原則として評定を1あるいは2としてきたことが認められるのであるから、仮に控訴人主張のように、最終的な作品の提出がなくとも制作過程で段階的に積み重ねられた点数を実技点とする教科会の取決めがされたのであれば、柳澤と被控訴人との間で評価方法について意見交換ないし意思統一がされてしかるべきであるのにそのような事実を認めるに足りる証拠はない。また、(証拠・人証略)によれば、被控訴人は昭和五二年度以降も前記のような評価をし、年度初めには生徒に対し、作品を提出しない場合には評定1が付くことを予め告げていたにもかかわらず、本件に至るまで生徒、父兄、同僚教師、柳澤らから評価方法に疑問、苦情が出されることはなかったことが認められ、この点が従前問題とされたことがなかったことは柳澤も証言中で認めているところである。

(四) (証拠・人証略)によれば、控訴人においては、一、二学期に評定1が付けられた生徒は、二学期、三学期にそれぞれ再試験を受けなければならないことになっており、再試験の場合には、学期末試験を受験できなかった生徒が受ける追試験の受験者と一緒に、教科名と名前が記入された受験者の一覧表が作成されていたこと、被控訴人は他の家庭科の教諭よりも目立って多くの評定1を出していること、昭和五五年度(控訴人の主張では、この年の一学年についてだけでも、作品未提出者の評価を誤ったもの一八件、うち評定1としてあるもの四件、作品提出者の平常点を無視したもの一一件、うち評定1としてあるもの五件となっている。)には、被控訴人と柳澤は、他の教師一名とともに、一年生の普通科のクラスを分担して受け持っていたが、柳澤は当時家庭科の教科主任であり、教科主任の役割は教科及びそれに携わる教師の管理監督をすることであったことが認められる。右事実によれば、当時柳澤は、当然毎学期の再試験を受験する生徒の数及びその所属クラスを把握していたものと推認でき、また、被控訴人については評定1が目立って多かったのであるから、教科主任として被控訴人の評価方法を知り得たはずである。

右の事実関係からすると、これまで被控訴人の作品未提出者等に関する成績評価の方法が問題とならなかったのは、柳澤自身も学園方式に従っていなかったか、あるいは、そもそも学園方式が教科会で決められていなかったか、控訴人において被控訴人の評価方法も教師の成績評価の裁量の問題として特に取り上げられなかったかのいずれかであると考えられる。自分は学園方式に従って成績評価をしながら、被控訴人の成績評価方法が学園方式に違反していることに四年間以上も気が付かなかったとの柳澤証言は到底信用しがたい。

(五) なお、控訴人は、被控訴人自身が作成した評定表によると、作品未提出者と思われる29・1が、内規制定前の昭和五〇年度には一クラスに八名、同五一年度には一クラスに三名いるのに対し、内規制定後の昭和五二年度には四クラスでゼロになっているが、同年度になって急に作品未提出者がいなくなったとは考えられないから、これは被控訴人が同年度の内規制定後いったん作品未提出者の評価方法を変えたことが明らかで、そのことは新たな取決めがなされたことを裏付けるものであると主張する。

なるほど、(証拠略)によれば、29・1の生徒の数については、控訴人主張のとおりの事実が認められる。しかしながら、(証拠略)によれば、控訴人においては、各学年によって実技における制作物として何を扱うかは異なっており、また、同一学年であっても各年度によって必ずしも実技の内容あるいは方法が同一でないこと、控訴人は昭和五〇年度及び同五一年度については、各一クラスの評定表を証拠として提出しているに過ぎないが、被控訴人はこれまで毎年複数のクラスを担当してきたものであって、右各年度においても提出されていない評定表が存在すること、少なくとも、昭和五一年度については、実技のある一、二年生に関しては五クラスを担当し、そのうち29・1が合計四件、評点29以外の評定1を付けたものが四件あり、五クラスのうち29・1を付けた者がいるクラスは二クラスに過ぎず、三クラスでは29・1の生徒がいないこと、昭和五二年度についても、四クラスのうちで実技がある一、二学期で評定1が付けられたものは五件であることが認められる。右事実関係のもとにおいては、控訴人主張の事実のみから、被控訴人が昭和五一年度以前と昭和五二年度で成績評価の方法を変えたと認めることはできない。

また、控訴人は、被控訴人は作品の提出期限を守った大多数の生徒については、学園方式で作品点を出し、これを中間考査点に代わる作品点として期末考査点と足して二で割って評点を出しているが、これは学園方式が教科会の取決めとして存在していたことを裏付けるものであると主張する。確かに、(証拠・人証略)によれば、被控訴人は忘れ物など平常点として考慮すべき事項を教務手帳にメモしていることが認められるが、右のようなことは、被控訴人主張のように、作品点と期末考査点を足して二で割り、それに平常点の加減をする評価方法をとる場合にもあり得ることであるから、右事実から直ちに被控訴人が学園方式にしたがって作品点を出していると認めることはできない。

(六) 柳澤証言の信用性

前記のとおり、証人柳澤は、家庭科教科会において学園方式が決定された旨証言するが、同証言は、次のとおり採用することができない。

(1) まず、学園方式による具体的な家庭科の実技に関する成績評価の仕方について、柳澤は、当初、教科会で決めたところに従って作品の制作過程を数段階に分け、各段階ごとに作品の出来ばえや提出期限までに出したかどうかなどの狭義の平常点を点数化して評価する旨証言していたが、その後、被控訴代理人の反対尋問に答えるうち証言を変え、途中の評価は段階を表すABCなどの記号で記載しておいて、学期末の評価を出すときにその記号に基づいてそれぞれの点数化を行う旨証言し、その際には各段階の作品点と狭義の平常点の比率については各担当者に任せ、打ち合わせはしていなかったし、そのようなことをすると大変であって不可能である旨証言するに至った。

しかしながら、この点こそ、学園方式がそれまでの評価方法と根本的に異なる部分であり、そのためにこそ教科会で柳澤自身が中心となって十分話し合ったはずであるにもかかわらず、この最も重要な部分についての柳澤証言は、内容が明確でなく、あいまいであり、不自然というほかない。特に、控訴人は、新しく学園方式が決められた趣旨は、今までの出来ばえを中心に見る作品点では、教師による主観が入り易く、また、他人の作品を出して高い点数を獲得するおそれがあるだけでなく、不器用でも努力する生徒が評価されない弊害があるから、評価を客観的にし、経過を重視した評価をするためであると主張し、柳澤もそれに沿う証言をしているが、少なくとも主観の排除のためには、各段階における点数の配分比率や、いわゆる出来ばえを中心とした作品点の部分と、提出期限の順守、授業態度、出席状況などの狭義の平常点の部分との相互の点数の配分比率につき担当教師間で決めておく必要があり、これを担当教師間で決めてこそ学園方式の狙いがそれなりに一貫することになるものであるにもかかわらず、その点につき明確な取決めないし打ち合わせをしたことを認めるに足りる証拠がなく、そのような取決めなどは大変でできないということでは首尾が一貫しておらず不自然である。

(2) 学園方式を決定したという教科会に関する柳澤証言についてみるに、前認定のとおり、右教科会が開かれたかどうか問題とされている昭和五二年五月当時学園の家庭科の教師は、専任教諭の被控訴人と柳澤、非常勤講師の小松原の僅か三名であり、したがって、右に述べたような重要な取決めをした会であれば出席者が誰であったかは当然記憶にあるはずであるにもかかわらず、当初の証言では当時いないはずの塚本奈緒美教諭が参加した旨証言し、後にそれが誤りであることを指摘されると、労働委員会では、右小松原が色々な経験を生かして意見を述べた旨供述(<証拠略>)するなど、重要な点で供述に変遷があり、この点でも柳澤の証言は不自然であるといわざるをえない。

(3) 柳澤の昭和五五年度の教務手帳(<証拠略>)によれば、作品未提出のため平常点を〇点と評価したものと推測される事例が一二例あり、柳澤自身学園方式で評価していたか疑問がある。

(七) 以上検討したところを総合するに、控訴人主張の学園方式は、その性質上それが定められたなら当然伴うべき外形的な事実も存在せず、控訴人が学園方式に反すると主張する被控訴人の成績評価について長年にわたって問題とされたことがなく、更に、控訴人が学園方式を取り決める契機となったと主張する内規の内容と学園方式は必ずしも結び付いてはいないことなどを合わせると、学園の家庭科教科会において学園方式が取り決められたとは認めがたい。これを肯定する柳澤の証言は信用しがたく、他に学園方式が教科会で取り決められたことを認めるに足りる証拠はない。

3  以上のように、そもそも学園方式なるものが内規制定後に教科会で決められたとは認められないから、控訴人主張の評価の誤りのうち、作品未提出者及び期限に遅れて作品を提出した生徒に対する評価方法が、学園方式に反するとの主張は、その根拠を失うものといわざるをえない。

二  被控訴人の成績評価の方法

1  (証拠・人証略)によれば、被控訴人の成績評価の方法は以下のとおりと認められる。

控訴人の家庭科においては、一学期と二学期は作品の提出と期末考査が行われ、三学期は実技がなく期末考査のみが行われる。被控訴人は、一、二学期については、実技の成績を一〇〇点満点で評価し、これと同じく一〇〇点を満点とする期末考査(ペーパーテスト)の評価を加え、これを二で割って評点を出し、必要があれば平常点で加減をするという方法で五段階の評定をしたが、実際には平常点の加減をすることは少なかった。三学期は作品の制作、提出がなくペーパーテストによる期末考査のみであり、ペーパーテストの成績に平常点による加減をして評点を出し、評定をした。

ただ、被控訴人は作品の制作、提出のある一、二学期において、作品の提出がなかった、あるいは、作品の提出が遅れた場合には、実技の成績と期末考査の成績を平均する方法を取らず、以下のような評価方法を取った。

(一) 評定時において作品の提出をしなかった場合は、原則として、29・1を付ける。ただし、未提出であっても、制作途中の経過や授業態度その他特殊事情を考慮して救済できるものは30・2を付ける。

(二) 作品提出が期限に遅れても評定時までには間に合った場合は原則として30・2を付ける。

(三) 作品の提出がなかったものでも作品の難易度、未提出・提出遅れの事情、授業態度などの事情を考慮し評点を変更したり、評定を変更する。

2  被控訴人は、作品未提出、提出遅れの生徒について右のような評価方法を取った理由として、昭和四九年に控訴人に採用され最初の成績評価を行う際、柳澤から作品を提出しない場合には期末考査の成績がいくら良くても評定1を付けるよう指導を受け、また、提出遅れの場合に30・2にしたのは右のような柳澤の指導から自分自身で考えたものであると供述し、同じ年にやはり家庭科教諭として控訴人に採用された(人証略)もこれに沿う証言をする。(証拠略)によれば、長田も昭和四九年度において29・1はないものの一定数の生徒について機械的と思われる44・2を付けたことが認められ、また、被控訴人も長田も昭和四九年に新規採用で控訴人に採用された者であるから、評価の方法については柳澤から何らかの指示がなされたとみるのが自然である。

三  成績評価の誤りの有無

1  初歩的計算ミス(別表1(1)(2))

控訴人が別表1(1)(2)で主張する誤りのうち、争いがあるNo12とNo13のみについて判断するに、これらが計算ミスであることを認めるに足りる証拠はなく、かえって、(証拠・人証略)によれば、No12については、その学期の最終作品であるモチーフつなぎが未提出であったため、29・1にしたものであること、No13については、その学期の最終作品であるモチーフつなぎの提出が遅れたうえ日常の忘れ物があるため作品点は二五点であったこと及び期末考査は三二点であったが主要な評価の対象作品が提出されていることから、30・2と評価したものであることが認められる。したがって、No12、No13の生徒についての評定の問題は、被控訴人が作品の提出を怠った生徒に対してした後記3の評定の仕方の問題と同一である。

2  評定表への転記ミス(別表2)

控訴人が、別表2で主張する誤りのうち、争いがあるNo19ないし21について判断するに、(証拠・人証略)によると、被控訴人の教務手帳の記載と評定表の記載とが別表2のとおり一致しないこと、通常は教務手帳に記載されたところを評定表に記載する手順をとることが認められ、それからすると控訴人主張のように転記ミスであるかのようにも考えられるが、(証拠略)によれば、教務手帳の当該生徒の近辺の誤読され易い部分に評定表記載の点数は記載されていないことが認められ、また、「45」と「65」、「40」と「30」、「43」と「63」の違いは、転記の誤りというよりも、被控訴人本人が供述するように、生徒の平常の授業態度を考慮して加点、減点したが、教務手帳に右加減の訂正をしなかったとみる余地があるものであり、直ちに転記ミスと認めることはできない。

3  作品未提出及び提出遅れの生徒に対する被控訴人の評価の仕方(別表3、4)

控訴人は、作品未提出者及び提出遅れの生徒に対する被控訴人の評価方法は、定期考査点を一切無視している点で、「評点は定期考査を主として、学習効果を総合的に考慮して決定する」と定めている内規に違反する旨主張するので判断する。

被控訴人の成績評価の方法は二で認定したとおりであるところ、前認定の事実によれば、内規の趣旨は期末考査点と中間考査点を均等に評価し、これを中心に評定をするというところにあるのであるから、被控訴人の評価方法のように実技評価のある一、二学期については期末考査点が仮に高い者であっても作品を提出しない者は原則として29・1とし、また、提出が期限に遅れた者については原則として30・2とするというのは、期末考査点を基本的に無視することになるといわざるを得ない(もっとも、観念的には右29、30の一部には期末考査点の一部が含まれているともいえるが、期末考査点の二分の一の点数が反映されていない場合を含むことは勿論である。)から内規の趣旨には沿わない評価方法というべきである。しかしながら、内規は実技系の教科における作品未提出あるいは提出遅れの場合の評価について明確な基準を示していないのであるから、被控訴人の評価方法をもって直ちに内規に反するとまではいえない。

他方、この点について、被控訴人は、右の評価はいずれも内規の平常点の加減(±五〇点)の範囲内に収まるものであり、また、作品未提出者のうち期末考査点を二で割って出した点数より加点されている者が多数であるから内規違反はない旨主張するが、被控訴人の評価基準、方法は前記のとおりであって、平常点を加減したり、期末考査点の二分の一を加減して算出したものでないことは明らかであるから、右主張は、被控訴人が実際におこなっていた方法とは沿わないものであって、理由がない。

4  作品を提出した生徒の平常点をゼロとしたとする点(別表5)

(証拠略)によれば、別表5の生徒につきいずれも教務手帳に提出を表すとみられる「提」の記載があるにもかかわらず、被控訴人が平常点を記載せず、1あるいは2の評定をしたことが認められる。しかしながら、(証拠・人証略)によれば、右はいずれも最終作品の提出が評定後であったか、未完成品の提出であったので、最終作品を期限内に提出した生徒については敢えて記載しない「提」の記載をしたに過ぎず、提出したのにこれを誤って提出がなかったとして評定をしたものではないことが認められる。したがって、控訴人が主張する別表5の生徒についての評定の問題は、被控訴人が作品の提出を怠った生徒に対してした前記3の評定の仕方の問題と同一である。

5  作品未提出であるにもかかわらず提出扱い(別表6)

控訴人は、別表6の生徒については、作品が未提出であるにもかかわらず、提出扱いとする誤りがある旨主張し、証人柳澤は、被控訴人が停職処分中、柳沢が被控訴人の代行をしていた際、No111の生徒がまだ作品を提出していなかったと言って作品を提出してきたので、教務手帳を見たところ既に提出した扱いになっていたため、事情を聞いたところ、No26の生徒と一緒に一旦は提出し、同生徒は受け取ってもらったものの、No111の生徒は未完成であったから返却されたことが分かった旨証言している。

しかし、証人柳澤の証言によれば、右の件について、被控訴人に対し教務手帳の記載内容について何らの確認もしていないことが認められるだけでなく、(証拠略)によれば、No26の生徒は、作品未提出である旨記載されていることが認められ、この事実と照らし合わせると同証人の証言はにわかに信用しがたく、他に控訴人主張の事実を認めるに足りる証拠はない。

6  評点算出の根拠が全く不可解なもの(別表7)

(一) 控訴人が、平常点・考査点共に教務手帳に同じような記載があるのに評定が2と1に分かれるのが不可解と主張する件(例1)については、(証拠・人証略)によれば、No112とNo113との関係では、前者は、最終作品は提出したが途中の制作物を提出していないので30・2と評価したのに対し、後者は、最終作品未提出であるため29・1と評価したもので、作品点の四〇点は記入ミスであり、評定表記入時に評点29に変更したものであること、また、No114とNo115との関係では、No115は、最終作品のうち、刺繍自由作品は未提出であったが、浴衣完成品は提出しているので、30・2と評価したのに対し、No114は、この学期はまともな作品は一つも提出しておらず、最終作品も共に未完成で提出しているので、29・1と評価したことが認められ、いずれも前記3の評定の仕方の問題と同一である。

(二) 控訴人が、同一日に一緒に作品を提出したのに一人だけ作品点が認められなかったと主張する件(例2)について、証人柳澤は、No116ないしNo118の生徒は、同じ日に作品を提出したものであり、当該生徒に証人自身が確認した旨証言している。

しかしながら、(証拠・人証略)によれば、被控訴人の教務手帳の右三人の作品の提出をチェックする欄には、No116は鉛筆で、No117、No118はボールペンで書かれており、また、内容的にはいずれも「提」、No117には「再」、No118には「レ」のチェック印が記載されていることが認められるところ、同一日に同時に提出したのであれば、同一の筆記用具で書かれているはずであり、記載内容も同一のはずであることからすると、柳澤の右証言は信用しがたく、他に右証言を裏付けるに足りる証拠はない。かえって、前記各証拠によれば、No116は、評定時までには作品が未提出であり、No117は、提出したが再度やり直させられた者であり、No118は、普通に提出した者であることが認められるから、No116については前記3の問題と同一であり、その余は内規に違反するところは認められない。

(三) 控訴人が、考査点の低い方に評定2が付き、高い方に評定1が付いたと主張する件(例3)については、控訴人はこれらの生徒の平常点はいずれも零点であるとし、考査点だけで比較している。

しかしながら、(証拠・人証略)によれば、No119とNo120では、いずれも最終作品を提出していないのであるが、前者は、後者と比べて期末考査点は低いが途中提出物は多く出しており、後者は、夏休みの宿題を提出しておらず、また、しばしば授業を妨害するようなことがあったので、前者は30・2、後者は29・1と評価したこと、また、No121とNo122は、前者は後者と比べて期末考査点が低く、最終作品も提出していないが、途中作品を提出しており、後者は、前者より考査点は高いが、最終作品を評定前には提出していないし、途中の作品を一切提出していないので、前者は30・2、後者は29・1と評価したことが認められる。したがって、右についても前記3の問題と同一というべきである。

(四) 控訴人が、平常点がゼロであるのに考査点よりも評点が高かったと主張する件(例4)については、(証拠・人証略)によれば、いずれも作品未提出であったが、No123については被控訴人の原則のとおり評定をし、No124については期末考査点や平常点(但し、控訴人の主張する広義の平常点とは異なる。)による加減をしたものと認められる。したがって、No123、No124については前記3と同一の問題がある。

7  その他の評点及び評定のアンバランス

(人証略)は、被控訴人が、昭和五四年度一学期から昭和五六年度一学期までに担当したすべての生徒について、その教務手帳の記載の相互間の不整合あるいはアンバランスを指摘し、被控訴人の成績評価が恣意的である旨証言している。しかしながら、右各証人が指摘する点はいずれも被控訴人の作品未提出者、遅滞者に対する評価に関するものと認められ、生徒の評定相互の不整合については直ちにそれを恣意的評価に基づくものであるとか公平を欠くものであると認めることはできない。

四  被控訴人の組合活動及び控訴人との対立と本件解雇に至る経緯

事案の概要欄記載の事実、(証拠・人証略)によれば、以下の事実が認められる。

1  被控訴人は昭和四九年に家庭科教諭として採用されたが、採用された年に同僚の寺島やえ(以下「寺島」という。)から組合結成を目的とした学習会に誘われてこれに加わり活動を続けた。控訴人側は学習会で活動するメンバーに警戒感を抱くようになり、昭和五三年一〇月ころに学習会のメンバーが中心となって実施した職場旅行に対しても嫌悪感を示し、校長は学習会の中心メンバーであった職員を呼んで旅行会に関し露骨な不快感を示して叱責するようなこともあった。同年末ころから昭和五四年にかけ、学習会の中心メンバーであった寺島は、二度目の産休を取ったことや校長に対する態度が悪いなどとして校長から執拗に始末書の提出を求められたり、退職の勧告を受けたりした。そして、寺島は昭和五五年四月からは一切授業・担任から排除されるまでになった。学習会のメンバーである被控訴人らは、寺島の授業排除問題をきっかけに昭和五五年四月六日組合を結成し、被控訴人は初代委員長になった。

2  組合結成後被控訴人らは控訴人側に対し、賃金問題、寺島に対する授業・担任からの排除、賃金差別問題などについて団体交渉の申し入れを再三したが、控訴人側は団体交渉を回避する姿勢を示す一方、組合員に対する戒告処分をしたり、職員会議で被控訴人らの組合活動に内規違反があると発言するなど、組合と控訴人との間の対立は激しいものとなり、被控訴人は、組合の委員長として控訴人の組合攻撃の矢面に立たされることになった。昭和五六年三月、組合は寺島の授業排除問題などで都労働委員会に対し、不当労働行為の救済申立をし、対立はいよいよ激化した。この間、校長及び柳澤が昭和五五年六月と一二月に福島県にある被控訴人の実家に電話をして組合活動を止めるよう注意することを依頼したこともあった。

3  そのような中で、昭和五六年六月一九日午前、副校長は体育の授業を受けている生徒の頭髪が規則に違反しているとして担任の被控訴人に対し、直ちに校庭に見に行くよう命じた。被控訴人は職員室の窓から生徒の様子が分かったため、その場で右生徒の指導について副校長と話をしようとした。しかし、副校長は再度被控訴人に対し、校庭に見に行くよう強く指示し、被控訴人もこれに従い、体育の授業終了後、二人の生徒に注意を与えた。同日の放課後、副校長は被控訴人が直ちに指示に従わなかったことを問題として、午後五時から二時間ほど他の教員とともに被控訴人を詰問し、更に、同月二二日、二四日と二度にわたりいずれも二時間近く被控訴人を難詰した。これに対し、組合は組合委員長に対する攻撃ととらえ、同月二六日、控訴人に対し抗議文を提出した。右抗議文については、その後経営者が主任を使って組合攻撃をしたとする部分が職員会議で問題とされ、組合は同年七月一四日、右部分を訂正するとの文書を控訴人に提出した。翌一五日、被控訴人が生徒の伝染病による欠席について校長に報告した際、校長は被控訴人の報告の仕方を咎め、「あなたは権利を主張する人間だから厳しくしなければならない。解雇もあり得る。」などという発言をした。

4  昭和五六年七月二三日、商業科一年一組の担任の田中教諭は、父母との個人面談の中で担任する生徒の母から家庭科の成績に疑問があると言われ、当日被控訴人に事実関係を確認したところ、被控訴人は教務手帳を見て計算違いであると答えた。翌二四日、柳澤は被控訴人に対し、田中教諭が問題にした成績評価の誤りについて質したうえ、他の生徒についても誤りがないかを聞き、被控訴人の昭和五六年度の教務手帳の提出を求めた。柳澤は右教務手帳の一年生の分につき点検をし、計算違いと考えられた一一名と評価の過程が理解できない一六名の二七名分の実技点、期末考査点、評点、評定を教務手帳から抜き出して一覧表にし、これを翌二五日、校長に提出した。

5  同日夕方、副校長が中心となり、柳澤、学年主任の宮本が加わって被控訴人に右二七名の評価について釈明を求めた。被控訴人は一一名分については計算の誤りを認めたが、一六名分については作品の提出がなかったり、遅れたりしたため、29・1、30・2にしたと答えた。これに対し、副校長は作品の提出がないことなどで右のような成績評価をすることは内規に違反しているとして、それを被控訴人に認めさせようとしたが、被控訴人はこれを認めず、その点については教科会で話し合いたいと主張し、右の話し合いは二時間ほど続けられた。

6  同年八月三一日、控訴人は職員会議を開き、被控訴人の成績評価問題を取り上げ、その場で、副校長は被控訴人が内規に違反する評価方法をとったと報告し、被控訴人の釈明を求めた。被控訴人は計算間違いについては他の職員にも謝罪したが、作品の提出がなかったり、遅れた場合に関する評定の問題については教科会で話し合わせて欲しいとの発言をした。被控訴人は同年九月三日校長から成績評価の誤りについて顛末書の提出を求められ、同月四日、五日にかけて顛末書を作成してこれを校長に提出した。同月五日、被控訴人は、計算間違いが明らかになった三名の生徒の通知表の訂正を生徒を呼んで伝えた。

7  控訴人は被控訴人に対し、同月五日、控訴人の就業規則五二条一号(「規律を乱し秩序を破り業務の運営を阻害し又は常軌を逸した行為のあったとき。」)及び二号(「故意、怠慢、過失又は監督不行届によって事故を起こしあるいはこれによって学園の信用を害し又は損害を生じたとき。」)により、同月七日から同月一三日まで停職を命ずるとの懲戒停職処分をした。その理由の要旨は、(1)被控訴人の成績評価の誤りについて、関係教員が再調査したところ、同年八月末現在で二七名の生徒に評点、評定の誤りが発見されるに至った、(2)同年六月一九日に、職員室にいた副校長が、校庭で体育の授業を受けている生徒の中に、頭髪違反等の疑いのある生徒を見付け、被控訴人に直ちに確かめてくるように指導したにもかかわらず、これに素直に従わず、また、同日の放課後、副校長が被控訴人に対し、勤務の在り方等につき指導説得を繰り返したが、誠意ある態度をとらず、同僚教員等から態度を改めるよう注意されたが反省しなかったなどというものであった。控訴人は被控訴人に対し、同日右懲戒停職処分の通知書を渡そうとしたが、被控訴人は処分理由が納得できないとして、この受領を拒否した。その後、被控訴人は、私教連の中央執行委員である丸山慶喜を交えて控訴人と交渉した結果、副校長が、提出ずみの教務手帳の二年生の部分は訂正のため調べるが、そのことで懲戒処分にはしないし、新たに過去の教務手帳の提出は命じないという趣旨の発言をしたので、被控訴人らはこれを信じ、同月一二日に、停職処分の期間を同月七日から同月一四日までとする処分を受けることにし、右通知書を受領した。

8  懲戒停職処分後、被控訴人は校長から更に過去三年間の教務手帳を提出するよう命ぜられたが、前記経緯からこれを納得しがたいとして、教務手帳の提出を拒否してきたところ、同月二五日の団体交渉の席上で、副校長が、今後間違いが発見された場合でも懲戒処分には付さない旨発言したため、被控訴人は手元に残っていた昭和五四年度及び昭和五五年度分の教務手帳を提出した。ところが、控訴人は、被控訴人から提出された昭和五四年度ないし昭和五六年度の被控訴人の各教務手帳によれば成績評価の誤りが発見されたとして、被控訴人に対し、同年一一月二〇日、普通解雇する旨の意思表示をした。

9  以上のとおり、被控訴人の成績評価問題は、控訴人と組合とが激しく対立している最中において、組合委員長である被控訴人が成績評価に誤りがあるとして追及され、これが本件解雇にまで発展したものである。

五  職務の適格性の有無

以上によれば、控訴人主張の教科会の取決めの事実が認定できない以上、被控訴人には取決め違反の事実は存しないといわざるを得ないが、計算違いや、内規の趣旨に沿わない評価方法を採用していることが認められるので、これらの点からみて、被控訴人が就業規則四三条二項に定める教師としての適格性が欠けている場合に当たるといえるかどうかを検討する。

1  控訴人の就業規則に定める「職務に適格性を欠くとき」とは、それが教職員の解職事由であることに照らすと、当該教職員の容易に矯正しがたい持続性を有する能力、素質、性格等に起因してその職務の遂行に障害があり、または障害が生ずる恐れの大きい場合をいうものと解するのが相当である。

これを教師の生徒に対する成績評価の誤りについてみると、生徒の成績評価は、教師の職務のうちにあって極めて重要な部分であり、正確な成績評価をする能力は、教師という職務に携わる者にとって欠くことのできないものであり、また、評価を受ける生徒にとっても重大なことであって、成績評価の誤りは、その生徒の学園内における席次の問題だけでなく、進学や就職の推薦の問題にも重大な影響を及ぼすものであることは当然のことである。それ故、その成績評価の誤りが、容易に改善しがたいその教師の物の見方の偏りや独断に基づくものである場合、あるいは容易に矯正しがたい恒常的な注意力の欠如に基づく場合には、教師としての職務の適格性に欠けるものということができる。

2  (人証略)及び被控訴人本人尋問の結果(原審)によれば、被控訴人は、昭和四九年、控訴人に家庭科の教諭として採用されて以来、本件成績評価問題が生ずるまでの約七年間、学園の教師あるいは生徒や父母の間で教師としての職務遂行に際して問題行動として指摘されるようなことがなかったこと、単純な計算ミスについてはこれまで被控訴人以外にも数件の同種の間違いが生徒から指摘され、爾後に担当教師、担任教師の確認を経て訂正されてきたことが認められる。

3  ところで、前認定のとおり、被控訴人の成績評価の問題点のうち、作品未提出者、提出遅滞者の評価に関する部分については、期末考査点の二分の一が考慮されていない点において内規の趣旨に沿わないという問題がある。しかしながら、前認定の事実によれば、このような問題が生じた原因は、次の点にあると認められる。

(一) 内規は、実技系の教科以外の教科の評価方法に主眼が置かれ、実技系の教科に適用するについては内容が抽象的であるためわかりにくい。特に作品未提出者等家庭科特有の問題の処理については、内規には明確な指針はない。この問題については教科会で十分議論され、かつ明確な取決めがされなければならなかったにもかかわらず、実際には行われていなかったため、必ずしも統一されたものはなく、新米教師である被控訴人に対し、適確な指導、家庭科教師内部の意思統一のないまま経過した。

(二) 被控訴人は、内規制定後も内規の趣旨に対し正確な理解のないまま、控訴人に採用された当時柳澤から教えられたことをそのまま踏襲し、実技重視の立場から一貫して前記のような評価方法を採用していたもので、内規の趣旨に沿わないとの認識のないままこの基準を年度始めには生徒に告知し、注意を促していたものであるから、被控訴人の評価基準は、意識的に指導あるいは取決めに反して独自の方法を貫いたものではなく、適確な指導がないまま従前の方法を踏襲していたに過ぎない。

(三) 教科主任の柳澤は、被控訴人が前記の評価方法を採用していることを知る機会があったにもかかわらず長期間これを放置していたから、被控訴人の評価方法は教師の裁量の問題として控訴人側も問題としていなかったとみるべきである。

そうすると、作品未提出者等についての被控訴人の評価方法には内規の趣旨に沿わない点があり、また、注意力にもやや欠ける点は認められるものの、教科会の取決め、指導に反して行われていたものではなく、適確な指導により是正することは十分可能であったと認められ、また、控訴人側も長期間問題としていなかったのであるから、この点を取り上げて被控訴人に教師としての適格性に欠けるとするのは相当でないといわなければならない。

4  以上によれば、控訴人の指摘する成績評価の誤りは被控訴人の職務不適格性の徴憑ということはできず、その他、本件にあらわれた一切の事情を検討しても、被控訴人について就業規則四三条二号の「職務に適格性を欠くとき」に該当する事由ないしは右に準ずる事由(同条七号)は認められないから、本件解雇は無効というべきである。

5  のみならず、前認定の本件解雇に至った経緯によれば、本件成績評価の問題が発生したのちの控訴人の対応は被控訴人を処分することのみを考え、被控訴人が求めていた教科会での話合いや釈明の機会も十分与えないまま本件解雇に至ったもので、今後の指導による被控訴人の成績評価の改善の可能性など適格性を真摯に検討した形跡は認められない。むしろ、右成績評価の問題を契機として従来から対立関係にあった組合の委員長である被控訴人を学園から排除することに主眼をおいて本件成績評価問題に対応してきたとみざるを得ない。しかも、本件解雇は、懲戒停職処分後行なわれた団体交渉の席上での、提出を求めた過去二年度分の教務手帳に今後間違いが発見された場合でも改めて懲戒処分には付さない旨の発言に反して行われたもので、普通解雇とはいえ重大な不利益処分であるから、労使間の信義に反するものといわなければならない。これらの事情によれば、仮に職務の適格性に問題があるとしても、本件解雇は解雇権の濫用として無効と認めるのが相当である。

六  賃金請求について

被控訴人が本件解雇当時月額一六万八七〇〇円の賃金を得ていたこと、賃金の支払期日が毎月二五日であることは前記の通りであるから、控訴人は被控訴人に対し、解雇の日である昭和五六年一一月二〇日から昭和五九年一〇月二五日までの未払賃金合計五九三万八二四〇円及びこれに対する昭和五九年一〇月二六日から支払済みまで年五分の割合による遅延損害金並びに同年一一月二五日から判決確定の日まで毎月二五日限り毎月一六万八七〇〇円及びこれらに対する各支払日から支払済みまで年五分の割合による遅延損害金を支払う義務がある。

七  結論

以上によれば、控訴人の本訴請求は理由がなく、被控訴人の反訴請求は原判決が認容した限度で理由があるから、原判決は相当で、本件控訴は理由がない。そして、被控訴人の附帯控訴に基づく仮執行宣言の申立は相当である。

よって、本件控訴を棄却し、控訴費用、附帯控訴費用の負担につき民訴法九五条、八九条を適用し、被控訴人の本件附帯控訴に基づき原判決主文第二項につき同法一九六条を適用して仮執行宣言を付し、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 時岡泰 裁判官 山本博 裁判官大谷正治は、転補のため署名押印することができない。裁判長裁判官 時岡泰)

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